2015-02-12

割り切りと感情

今日も仕事でしたがそんなに残業にならずに終了したので昨日に引き続き一昨日の記事の続き的な記事を書こうと思う。と言っても今日は根拠がどうとかそう言う事ではなく他愛もない事。(笑)

一昨日の記事で自分は本が好きでよく読書をすると書きましたが、当然読み終えた本が溜まっていく事になる。

これも一昨日の記事で書いた事ですが読み終えた本に関しては手元に残しておきたい本とそうでない本に分けてそうでない本に関しては売ったり、人にあげたりする。

この境目なんですが、基本的に自分の好きな東野 圭吾さんの作品は全て残してある。東野 圭吾さんの作品の中でも個人的にはいまいちだった作品はあったりしますが、そうであっても好きな作家と言う事で残してある。

作家ではないですが、これも自分の好きな落合 博満さんの著書も全て残してある。

まぁ、落合 博満さんの著書に関しては内容が結構濃いので仮に好きでなかったにしても多分残してあるだろう。

この辺は分かり易く言えば好きな漫画やフィギュア等を全部揃えると言ったようなコレクションに近い部分があるかも知れない。

後は基本的には読んで自分の中で役に立ったか立たなかったかは別にしてもう読み返す事はないだろうと判断した物に関しては売るなり、読みたいと言う方にあげたりしてる。

極稀にそうして手元を離れてしまった本をもう1度読みたいと思う事もあるけど、そもそも極稀にだし、そう言う本に関しては再び買うか図書館を利用。全てに対してまた読むかも知れない等と考えていては溜まる一方でいつ迄も処分は出来ないのでそう言う部分は割り切り。これに関しては本だけではなく基本的には自宅にある全ての物に対してこんな感じ。

自宅が物凄い豪邸で物を置くスペースに困る事はないなら別にして自分のような一般人には物を増やさない為にもある種の割り切りも必要。

本の整理をしてて意外にと言ったら失礼ですが、堀江 貴文さんの著書は残ってる。と言っても堀江 貴文さんの著書に関してはゼロ なにもない自分に小さなイチを足していくも含めて3冊しか読んでないんですが、どれも個人的には結構重要な事が書いてある。

因みに堀江 貴文さんの著書に関しては自身が書いてないと言う意見もありますが、個人的にはそれはどうでも良い事で残すかどうかの基準は自分にとってその本の中に重要な事が書いてあるかどうかだけ。

逆に言えば凄く嫌いな作家や著者だったとしても自分にとって重要だと思えば残す。

ただ、例えば一昨日書いた科学する野球の本は科学や力学的アプローチは他にも応用出来ると言った事を除けば自分はプロ野球選手でもなければ野球の指導者でもないので今の自分に重要かと考えると売ったりしても良い本だけど、人間には思い出等と言った感情もあるのでなかなか難しい。

きっとこれからも割り切りと人間としての感情の中で自分は生きて行くのだろう。
posted by レイ at 22:25:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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